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過去の展覧会



 

 

梶村自得陶展 ―はつなつの風に吹かれて―
6/1(Tue)〜6/6(Sun)

梶村自得陶展「はつなつの風に吹かれて」

「何十年ぶりかでこのところ三晩続けて、ホッホさんがやって来たんだよ」。「ホッホさん?」。それが何だか分からず、コーヒーを飲みながらきょとんとしている私にむかって、ある日、梶村さんは嬉しそうにこんな話をしてくれた。子どもの頃、近くの神社にあった松の木の祠に巣を作っている梟(ホッホさん)を見つけ、どうしても欲しくなり家に持ち帰ったこと。そのときの欲しくて欲しくてしょうがないものを手 に入れた喜びと興奮。そしてそれと同時に感じた神様を連れ帰ってきてしまったような恐さはいまでも忘れることが出来ないと…。

神さまという存在。私はなにか特別な宗教を信じているわけではないが、梶村さんのいう「神さま的なもの」の感覚は素直に受け入れられる気がした。どこか遠くからいつも見ていてくれて、ときに導いてくれる目に見えないものの存在。

  「同じ焼き物でも器よりも、人形は人によって好き嫌いが激しく分かれるから…」と梶村さんはいう。たぶん私は人形好きとはいえない側の人間なのだ。これまでは「顔」がついているものが近くにあると、じっと見張られているような窮屈さを感じ、なるべく身のまわりには置きたくないと思ってきたほうだから。しかし、不思議とここにいる人形からはその息苦しさを感じない。それどころか一緒にいて心地いい。

  この季節に吹く風は、もう春のそれとは違う夏の匂いを含んでいる。なぜか十代の頃の記憶を呼び起こし、心をザワザワとさせる青い草の匂い。

  梶村さんの手から生まれた天女のような人形たちは、はつなつの風に吹かれ、それぞれに自分たちの好きな方向を見ては、楽しそうだったり少し寂しそうだったり。目があうことはないけれど、いまこのとき同じ空間にいることを受け入れ、寄り添ってくれているような懐かしい優しさがある。梟を肩に乗せ長いプリーツスカートの裾をすこしだけ揺らして遠くを見つめる女性の陶人形には「森へ帰る日」という名がつけられていた。どうしようもなく人が好きで、日々の暮らしと自然の調和を求める梶村さんの生き方の姿勢が表れた作品だと思う。

    (永井明子・米子市在住・青杏文庫店長)


「自分の作りたいものを作ろう」と陶人形を始めて12年。

 今、土を選んだことに運命的なものを感じる。

 自分を主張するするのではなく、土の持つ力を生かしたいそして大事にしたい。

 作品はまずイメージがありそのイメージはある一瞬に感じた印象や記憶など見る側にもイメージを喚起させる空間に夢を見ることができ、時間の中にゆっくりと思い出すような作品を作っていきたいと思うのです。

梶村自得 米子市在住