気品と静寂と安らぎの競演
宇宙の星は無限に散らばり、判明しているだけでも数百億はあるという。空気も水も太陽熱も届かないはるか遠い星があり、緑の山も、森も、青い海もない。ましてや花や虫や魚の姿さえもない。索漠とした星だ。人類が住む地球の星は実に美しい楽園である。鳥が舞い、歌い、花は咲き乱れ、虫たちは喜々として飛び跳ね、魚たちは川や、海を自由に泳ぐ。人類は色彩豊かな地球で詩歌、絵画、写真などの芸術を創作し、人間の心を豊かに育むのだ。わが県も美しい自然に恵まれ、その中で多くの人が自らの夢とロマンを掲げて生活しているのである。
このたび「能・石仏と花」と題して、森教治氏が第3回目の写真展を開催する。写真歴40数年の集大成と言ってもいい。森教治氏の座右の銘は、室町時代に活躍した能楽師・世阿弥が言った名言「初心忘れるべからず」だ。森氏は謙虚な人で、人との和を大切にする優しい人だ。その人柄のとおり作品にもヒューマンがあふれ、見る人の心を安らかにしてくれるのである。たえず反省しながら、写真を撮ることを忘れない。花はオーソドックスに活写され、すぐに花言葉を連想させる。純白でふくよかなボタンは「富貴で気高さ」を意味し、深紅のバラは「人をひきつける愛」で、タンポポは「思わせぶり」。ツバキは 「控えめな美」だし、ヒマワリは「光輝」の意味で、それぞれの花が個性豊かに写されている。花言葉は、東洋でも西洋でも国によって違うが、花にまつわる伝説、神話があり、日本も故事来暦、さまざまな逸話、花言葉が生まれているのだ。
また、朽ちた石仏は流れゆく歳月の象徴。風化した姿に古人の願いや、苦悩をにじませ、特に竹林の中に鎮座し、何かを思う静穏な姿に、おのずと合掌の気分になる。幸せと平和を願う石仏の顔は百面百想。ユーモラスな表情。怒気を含んだ顔。瞑想する和やかな姿に心は柔ぐ。石仏は人間の心をいみじくも投影しているのである。
伝統の能は、哀切と重厚が重なり、いにしえの時代を蘇生させ歴史を伝えてくれるのだ。とにかくこの写真展は、気品と、静寂と、安らぎの競演。その展覧会であり、生命の洗濯をしてくれるのだ。
ある写真家はこう言った。「写真とは一瞬にして時間を止めるもの。そこから永遠が生まれる」と。
足山実(日本詩人クラブ会員)
気品と静寂と安らぎの競演
宇宙の星は無限に散らばり、判明しているだけでも数百億はあるという。空気も水も太陽熱も届かないはるか遠い星があり、緑の山も、森も、青い海もない。ましてや花や虫や魚の姿さえもない。索漠とした星だ。人類が住む地球の星は実に美しい楽園である。鳥が舞い、歌い、花は咲き乱れ、虫たちは喜々として飛び跳ね、魚たちは川や、海を自由に泳ぐ。人類は色彩豊かな地球で詩歌、絵画、写真などの芸術を創作し、人間の心を豊かに育むのだ。わが県も美しい自然に恵まれ、その中で多くの人が自らの夢とロマンを掲げて生活しているのである。
このたび「能・石仏と花」と題して、森教治氏が第3回目の写真展を開催する。写真歴40数年の集大成と言ってもいい。森教治氏の座右の銘は、室町時代に活躍した能楽師・世阿弥が言った名言「初心忘れるべからず」だ。森氏は謙虚な人で、人との和を大切にする優しい人だ。その人柄のとおり作品にもヒューマンがあふれ、見る人の心を安らかにしてくれるのである。たえず反省しながら、写真を撮ることを忘れない。花はオーソドックスに活写され、すぐに花言葉を連想させる。純白でふくよかなボタンは「富貴で気高さ」を意味し、深紅のバラは「人をひきつける愛」で、タンポポは「思わせぶり」。ツバキは
「控えめな美」だし、ヒマワリは「光輝」の意味で、それぞれの花が個性豊かに写されている。花言葉は、東洋でも西洋でも国によって違うが、花にまつわる伝説、神話があり、日本も故事来暦、さまざまな逸話、花言葉が生まれているのだ。
また、朽ちた石仏は流れゆく歳月の象徴。風化した姿に古人の願いや、苦悩をにじませ、特に竹林の中に鎮座し、何かを思う静穏な姿に、おのずと合掌の気分になる。幸せと平和を願う石仏の顔は百面百想。ユーモラスな表情。怒気を含んだ顔。瞑想する和やかな姿に心は柔ぐ。石仏は人間の心をいみじくも投影しているのである。
伝統の能は、哀切と重厚が重なり、いにしえの時代を蘇生させ歴史を伝えてくれるのだ。とにかくこの写真展は、気品と、静寂と、安らぎの競演。その展覧会であり、生命の洗濯をしてくれるのだ。
ある写真家はこう言った。「写真とは一瞬にして時間を止めるもの。そこから永遠が生まれる」と。
足山実(日本詩人クラブ会員)