明けゆくアフリカ大草原 −シルクスクリーン版画ー わたせのぶあき草原動物紀行
「わたせのぶあき草原動物紀行」
西尾 肇
23年前、『紙魚』(しみ)という個人雑誌の発行を思い立ったとき、表紙絵を描いてもらうのはこの人しかいあにと心に決めていた。市内に住む版画家、わたせのぶあきさんだ。当時、私は28歳。恐れを知らぬ、そして礼儀をわきまえぬ年代だった。気税の画家としてもすでに全国に名前のとどろいていたこのアーティストに、タダで絵を描けと依頼に申しかけたのだから。『紙魚』は小冊子だったが、内には燃えるような気概があった。出版に中央も地方もない、どこで出そうが出版は出版。東京の出版人をうならせるような本を作って日本中をアットと言わせてやる。そのためにも、表紙の絵は地域に根ざして地域を超えた活躍をしている画家に描いてもらわなければ…。思えば、恥ずかしいほど気負い立っていた。
わたせさんは、20年も年下の私の頼みを二つ返事で引き受けてくれた。数日後、届いたのは一匹のカンパチの絵だった。出世魚といわれるブリノなかでも最も大きくなる魚だ。
大胆で奔放なタッチ。自由な精神にあふれた絵だった。うれしかった。この人は私の思いや雑誌の趣旨を完璧に理解してくれていると思った。昭和58年2月、わたせさんのカンパチに表紙を飾られた創刊号は瞬くうちに書店の店頭から消えた。
『紙魚』の発行を思い立ったのは前年、昭和57年の夏だった。その年の暮れ、市内の画廊で、ある個展が開かれた。アフリカに取材した絵画作品の展覧会だったケニアの大草原を背景に、ゾウやキリンやシマウマ、カバやダチョウやハイエナたちが悠然と大地を闊歩(かっぽ)していた。極限まで無駄な線を省き、自然や動物の一瞬の表情を切り取ったデフォルメの巧みさにも感嘆したが、何より目が覚めるような配色に仰天した。赤、青、黄色…三原色はもちろんのこと、紫色や銀色やショッキング・ピンクまで、燦爛(さんらん)たる色彩が画廊中にはんらんしていた。しかし、それがちっとも嫌味でない。鮮烈な色彩が一枚一枚の絵に見事に調和しているのだ。どこからこんな発想が生まれるのか。融通無碍(ゆうずうむげ)という言葉がぴったりの独創的な感覚に圧倒された。これが、わたせのぶあきさんの絵との出会いだった。
あれから二十三年を経て、あのアフリカの大自然と動物がシルクスクリーン版画でよみがえるという。心弾むようなニュースだ。もともと、わたせさんの素地は版画にある。絵師であるわたせさんの描いた下絵を、現代の彫り師たるオペレーターが版木ならぬパソコン上でトレースし、刷り師たる印刷工がスクリーン絵の具と格闘する。まさに現代の浮世絵制作ともいえるコラボレーションだ。ただの複製ではない。最大色数三十一版、色の調合に数時間を要し、二十作品の完成に四ヶ月かかったという。「弊社工場の、二十五年間の歴史の集大成」と吐露する株式会社パレット代表、常村護さんの言葉は大げさではあるまい。今回は各二十セットをシリアルナンバーとわたせさんのサイン入りで頒布する予定という。多くの人の手元でわたせさんの絵が暮らしを彩ると言う意味でも、常村さんの企図に賛意と敬意を表したい。
数え年70歳。古希を迎えるわたせさんの、いまだ衰えぬその旺盛な画力と限りない夢を追い続ける情熱に心から敬服する。今回の展覧会はケニア共和国が後援している。初日には、わたせさんと親交のあるケニア共和国の大使夫妻もテープカットに訪れる。「ジャンボ!アフリカ(ようこそ、アフリカへ)。」会場では、きっとアフリカの大草原と動物たちがそう言って私たちを歓迎してくれることだろう。 (鳥取市)
平成17年6月22日掲載 日本海新聞記事より
「わたせのぶあき草原動物紀行」
西尾 肇
23年前、『紙魚』(しみ)という個人雑誌の発行を思い立ったとき、表紙絵を描いてもらうのはこの人しかいあにと心に決めていた。市内に住む版画家、わたせのぶあきさんだ。当時、私は28歳。恐れを知らぬ、そして礼儀をわきまえぬ年代だった。気税の画家としてもすでに全国に名前のとどろいていたこのアーティストに、タダで絵を描けと依頼に申しかけたのだから。『紙魚』は小冊子だったが、内には燃えるような気概があった。出版に中央も地方もない、どこで出そうが出版は出版。東京の出版人をうならせるような本を作って日本中をアットと言わせてやる。そのためにも、表紙の絵は地域に根ざして地域を超えた活躍をしている画家に描いてもらわなければ…。思えば、恥ずかしいほど気負い立っていた。
わたせさんは、20年も年下の私の頼みを二つ返事で引き受けてくれた。数日後、届いたのは一匹のカンパチの絵だった。出世魚といわれるブリノなかでも最も大きくなる魚だ。
大胆で奔放なタッチ。自由な精神にあふれた絵だった。うれしかった。この人は私の思いや雑誌の趣旨を完璧に理解してくれていると思った。昭和58年2月、わたせさんのカンパチに表紙を飾られた創刊号は瞬くうちに書店の店頭から消えた。
『紙魚』の発行を思い立ったのは前年、昭和57年の夏だった。その年の暮れ、市内の画廊で、ある個展が開かれた。アフリカに取材した絵画作品の展覧会だったケニアの大草原を背景に、ゾウやキリンやシマウマ、カバやダチョウやハイエナたちが悠然と大地を闊歩(かっぽ)していた。極限まで無駄な線を省き、自然や動物の一瞬の表情を切り取ったデフォルメの巧みさにも感嘆したが、何より目が覚めるような配色に仰天した。赤、青、黄色…三原色はもちろんのこと、紫色や銀色やショッキング・ピンクまで、燦爛(さんらん)たる色彩が画廊中にはんらんしていた。しかし、それがちっとも嫌味でない。鮮烈な色彩が一枚一枚の絵に見事に調和しているのだ。どこからこんな発想が生まれるのか。融通無碍(ゆうずうむげ)という言葉がぴったりの独創的な感覚に圧倒された。これが、わたせのぶあきさんの絵との出会いだった。
あれから二十三年を経て、あのアフリカの大自然と動物がシルクスクリーン版画でよみがえるという。心弾むようなニュースだ。もともと、わたせさんの素地は版画にある。絵師であるわたせさんの描いた下絵を、現代の彫り師たるオペレーターが版木ならぬパソコン上でトレースし、刷り師たる印刷工がスクリーン絵の具と格闘する。まさに現代の浮世絵制作ともいえるコラボレーションだ。ただの複製ではない。最大色数三十一版、色の調合に数時間を要し、二十作品の完成に四ヶ月かかったという。「弊社工場の、二十五年間の歴史の集大成」と吐露する株式会社パレット代表、常村護さんの言葉は大げさではあるまい。今回は各二十セットをシリアルナンバーとわたせさんのサイン入りで頒布する予定という。多くの人の手元でわたせさんの絵が暮らしを彩ると言う意味でも、常村さんの企図に賛意と敬意を表したい。
数え年70歳。古希を迎えるわたせさんの、いまだ衰えぬその旺盛な画力と限りない夢を追い続ける情熱に心から敬服する。今回の展覧会はケニア共和国が後援している。初日には、わたせさんと親交のあるケニア共和国の大使夫妻もテープカットに訪れる。「ジャンボ!アフリカ(ようこそ、アフリカへ)。」会場では、きっとアフリカの大草原と動物たちがそう言って私たちを歓迎してくれることだろう。 (鳥取市)
平成17年6月22日掲載 日本海新聞記事より