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フナイタケヒコ連鎖1963~2004展
2005.7/7(Thu)~7/12(Tue)

 

生の自覚と自在な展開

フナイタケヒコ「連載」個展と画集

イメージ形成40年の軌跡

角秋 勝治

 多彩な手法と画材、夢幻の空間と反復。常に意欲的な連作で、絶え間ない意識を追及してきたフナイタケヒコは、「一所不在」の現代美術作家である。1969年から77年まで、谷口俊らと屋内外で13回開いた「スペースプラン」展など、彼を抜きにして鳥取の現代美術は語れない。

  飽くなき変転40年。今回の企画はその間、タブロー以外に描いた半切大の作品90点の個展と、カラー・モノクロ200点の画集である。そこで改めて気付くのは、多くの作家がデッサンでものの把握を修練するのに対し、フナイはドローイングでとめどない意識を探ってきたこと。特に初期の未発表作品は原点を目撃する刺激的な機会となろう。

 1942年、鳥取市生まれ。鳥取大学卒。個展やグループ展のほか、98年に県立博物館で、父・船井美周の遺作展と親子展を開く。川上奨励賞、鳥取市文化賞受賞。作品は60年代から現在に通底する本質が見て取れる。画材も画用紙に、パステル・コンテ・インク(ペン)などを駆使。『もののけ』の夢想の漂泊、渦巻状の記号ワラビ手紋による根源的、『原形』の生命力。その植物と人間が絡まる『イメージの刑場』は魔術的な狂気を含み、具象と抽象が混在する『ひと』は現実の厳しい葛藤がきしむ。

 70年代後半の『CRYSTALLIZATION。45』は、カラーインクペンとケント紙100枚の連作。45度角で描かれた三角や円形の幾何模様は、カオスからマンダラへの時空間を彩る宇宙創生図だ。サブカルチャーのイラスト的な『私のタントラ』はむしろ今の時代にぴったり。闇を通過して至る煉獄のエロスは密教の黒魔術的な趣である。

 80年代後半の『原郷へ』は「刑場」や「タントラ」を集成し、さらに展開させたもの。モノクロの克明なペン描きは、伝統の山水画を取り入れたシュールな「地獄草紙」で、一度滅びた後で開かれるであろう原郷回帰へのイメージか。ドローイングの『風より』は現在へのステップとなる抽象と位置付けられよう。

 2002年以降も、鉛筆・水彩・インクジェット写真印刷・クレヨン・パステルを多用。『か・た・ち』の『①闇の子』は車にひかれてアスファルトに張り付いたカエルをモチーフに、『②光の子』は顕微鏡でのぞくミクロな増殖を連想させる。一見異質な手法の「闇と光」は、実は悲しみを超えて往還する死と生の補完作業だ。

 近作『夢読みドローイング』は、描いては消す混沌の中で、半透明の深層心理に浮遊する恍惚(こうこつ)がある。「動物は夢を見るだろうか」と、そんな疑問に誘発されたのも、夢には人間の心理と感覚に潜む、不思議な業があるからにほかならない。

  「目覚めていて夢を見る」と『マルドローヌの詩』はいう。漠然とした不安、時代の狂気、権威への反抗、遊び心を含め、フナイが探ってきたのは、人間のDNAに継がれ、脳神経に刷り込まれてきた、地表より地下を流れる意識の発掘作業ではないか。ゆえに画集のレイアウトも、中央より下に掲載された作品が多い。

 意識の水脈を相手にする仕事は、明らかに時間芸術の領域であり、一点完結のタブローでは表現不可能だ。だから『連鎖』と題するフナイは「画集もまとめではなく、再確認をして今後の起点にするため。絵とはこういうものと固定するのではなく、一つ一つクイを打ちながら原点を探り包囲してきたような気がする」と語る。

 冒頭にフナイは「一所不在」の作家だと述べたが、40年の軌跡をたどると、一本の激しい水脈で貫かれていることに気付く。それは刻一刻の「生」の自覚と自在な展開。連鎖はそのイメージ形成の、臨場感あふれるプロセスと言えよう。

(鳥取ガス文化広報室)

2005/07/06 日本海新聞掲載記事より

 

フナイタケヒコ:鳥取市在住