過去の展覧会


 


森田しのぶ展
2006.1/4(Wed)~1/9(Mon)

森田しのぶ(自由美術協会会員):鳥取市在住

 

脈動する生命記憶の世界

フナイタケヒコ

海は地球上のすべての生き物の故郷である…。だから母胎を満たす羊水は、太古の海水の面影を宿しているといわれるのだろうか。

―森田しのぶの「生命への回想」。その画面を満たす「青」は、遠いはるかな生命の記憶を宿した海の色?或いはまた、新たな生命をはらんで発光する羊水の色なのか…。

このたび新年早々に開催される森田の個展は、一昨年の千駄木画廊(東京)に続く発表。描き下ろしの新作が中心となる。

今回の作品制作にあたって作者は、「もっと自由に伸び伸びと描くことで、自分を表に出していきたいと願った。」と語っている。自由美術展入賞、会員推挙、川上奨励賞受賞等の実績。ニューヨークでの婦人服最高峰の展示会「コーテリー展」への出品等、近年の婦人服デザイナーとしてのきらめく仕事。それらを経た上での新たな構えである。

確かに今回の作品には、何かジワリと迫ってくるものがある。たとえば新作「生命への回想054」。

これまで「森田ブルー」と賞讃されてきた青の表情が、深味と純度を増している。その色空間の中に描かれる形象は、深海の原始生物を連想させながらも、しなやかな精神性を湛えている。さらには、その内側に点滅する鬼火のような赤色部。それは、新たに生誕する生命の原初の意識が発する裸形の脈動なのだろうか。

練磨された表現技法と、実験的試行が微妙に拮抗しながら、果てしなく深まっていく生命記憶の世界が存在している。

どうやら今回の個展で、我々は森田の表現の変異点に立ち会うことになるのではあるまいか。

―ここに至るまでの道程には、きわめて興味深いものがある。

意欲的な画家といえども様々な理由で、絵が描けなくなる空白期間を余儀なくされることがあるが、森田の場合、それは出産と育児だった。母となった画家は、単に多忙で絵が描けなくなったのか、それとも意思して描かないことにしたのか。その選択は後者であった。 

森田は二十歳過ぎからほぼ十年間、子育てに専心し、一度たりとも絵筆を持たなかったのである。(森田は、それ以前に、市展・県展の入賞を果たしている。)

その是非についての議論はさておき、そのとき故あって、敢えて描かないという意思には、時至れば描くのだというもう一つの強靭な意思が潜在していたはずだ。だからこそ長きにわたる空白期間は、来るべき絵画の豊かさを育む揺籃(ようらん)期となり得えたのではないか。

森田の「生命への回想」は、その後、堰を切ったように制作され今に至っている。そこに一貫して持続するテーマの源泉は深くて大きい。

けだし表現の一貫性とは優れた作品の条件ではあるけれども、さらなる人生体験によって促される変貌もまた優れた作品の姿であろう。

制作と平行して果敢に多方面にわたる活動を続ける森田は、「ニューヨークは巨大です。でも、育った場所(鳥取)で得た私の中身で対峙できないわけではないと思っています。」と語る。迷い狂える時代の只中で生命の根源を表現する己の軸足を、自らが育った風土と感性に置こうとする自然体に、この画家の凄さがある。

(鳥取市在住 美術作家)

 

【森田しのぶ展は

一月四日~九日まで 鳥取市若桜街道 ギャラリーあんどうで】