「沖正傘寿記念写真展」
足山 実
うっとりするような
美しい五月
いろんなつぼみが
そろって開くとき
わたしの胸にも
恋の花が開いた…
さわやかな五月です。
この詩はドイツの詩人ハイネの作品であります。澄み切った青空の下、生き物は活動し、木々は新緑に染まり、人々は美しい恋を夢に見て心をときめかせています。そんな季節の中、沖正氏の傘寿を記念する写真展の開催です。
沖氏は元鳥取県副知事を務められ、日本最大の美術団体「二科会」の会員で、実力派であります。今まで数々の賞を受賞されて、この度は十一回目の個展で、五十点の作品が展示されています。
「老人は人生の縮図である」と沖氏は語り、老人を温かい目で、心の目で見詰めておられるのです。その自分も傘寿を迎えられて、記念展の開催です。
沖氏の師匠であった故・田賀久治氏は、次のようなことを言っておられます。「作品の発表は死んでからでもできるが、撮影は生きているときしか出来ない」と。
この言葉は、沖氏に大きな影響を与えたのです。老人の深いしわに魅せられて、それを芸術の域まで高めていかれた努力、その感性は大いなる誇りでありましょう。
沖氏のもチーフは、老人、子供、自然美でしょう。子供から大人へ成長していく過程、その連続性の命の尊さ、、大切さを写真によって表現してこられました。「青春とは心の若さ」と、ある詩人は看破しています。沖氏は、まさにそういう人だと思うのです。
この懐古展の二、三の作品を紹介してみましょう。
バレーボールのような丸刈りの小僧さんがマンガ本を読むくつろいだ姿に伸びやかさを感じます。
畑仕事を終えて、巨大な牛の手綱を引く白いヒゲの老人は、幸せを運ぶ仙人のように思えます。リヤカーに腰をおろし一息つくおばあさんの姿に、思わず駆け寄って肩をたたいてあげたい衝動にかられるのです。
そして何が不足か、ふてくされている幼女の姿はユーモアにあふれ、私たちの幼いころの姿を重ねて、噴きだしてしまうのです。そして雄大な田園に早苗が整列、一糸乱れぬ風景に、気の引き締まる美しさを感じるのです。
このように沖氏の温かく、生命力あふれる写真展が開催されるのです。
(日本詩人クラブ会員)
2007年5月17日(木) 日本海新聞掲載記事原文
個展開催にあたって
本日はご多忙の中を、私の写真展へ足をお運びいただき、誠に有難うございます。衷心より厚く御礼を申し上げます。
私が写真に魅せられ、初めて念願のカメラを入手したのは、1951(昭和26)年のことでした。当時はカメラは高価で、月給の2ヶ月分を必要としました。購入した日は『嬉しくて夜も寝られなかった』と、当時の日記に記しています。以来、今日まで56年間、写真を「心の友」として、余暇を大事に、趣味として撮り続けて参りました。
「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、いつの間にか歳を重ね、今年で傘寿を迎えてしまいましたが、これをまた人生の一つの節目として、今後も撮影を続けていきたいものと存じております。
この度の写真展は、私にとりましては通算11回目の個展ですが、前回の「魅せられてインド」(喜寿記念)から3年ぶりとなり、傘寿記念として開催するものでございます。
写真展は「懐古」と題していますが、1994(平成6)年に自費出版したモノクロ写真集「出会いとふれあいの中で」の原画写真130点の中から50点を選んで展示しています。全紙額装作品(5点)は、今回の個展のために最近プリントしたものですが、他は写真集発行時の原画から1994(平成6)年の間に撮影したスナップ作品を主体としています。
毎日のように繰り返される人命軽視の事件や、殺伐とした現在の世相に思いを致すとき、展示作品を通じて、当時への郷愁、懐かしさを思い起こしていただければと思っています。
私の作品は、強烈な世界ではなく、静かな世界の中に生活があり、夢があり、詩を感じさせ、ロマン溢れているものが多いとも言われていますが、いかがでしょうか。
私に残された人生は、如何ばかりなのか知る由もありませんが、私の敬愛してやまない本県写真界の重鎮であった、今は亡き田賀久治さんが常に私に語っておられた言葉を思い出します。
「作品の発表は死んでからでもできるが、撮影は生きているうちしか出来ないよ‥‥。」と。この言葉を胸に、命のある限り、撮影に精進したいものと思っています。
平成19年5月吉日
沖 正
「沖正傘寿記念写真展」
足山 実
うっとりするような
美しい五月
いろんなつぼみが
そろって開くとき
わたしの胸にも
恋の花が開いた…
さわやかな五月です。
この詩はドイツの詩人ハイネの作品であります。澄み切った青空の下、生き物は活動し、木々は新緑に染まり、人々は美しい恋を夢に見て心をときめかせています。そんな季節の中、沖正氏の傘寿を記念する写真展の開催です。
沖氏は元鳥取県副知事を務められ、日本最大の美術団体「二科会」の会員で、実力派であります。今まで数々の賞を受賞されて、この度は十一回目の個展で、五十点の作品が展示されています。
「老人は人生の縮図である」と沖氏は語り、老人を温かい目で、心の目で見詰めておられるのです。その自分も傘寿を迎えられて、記念展の開催です。
沖氏の師匠であった故・田賀久治氏は、次のようなことを言っておられます。「作品の発表は死んでからでもできるが、撮影は生きているときしか出来ない」と。
この言葉は、沖氏に大きな影響を与えたのです。老人の深いしわに魅せられて、それを芸術の域まで高めていかれた努力、その感性は大いなる誇りでありましょう。
沖氏のもチーフは、老人、子供、自然美でしょう。子供から大人へ成長していく過程、その連続性の命の尊さ、、大切さを写真によって表現してこられました。「青春とは心の若さ」と、ある詩人は看破しています。沖氏は、まさにそういう人だと思うのです。
この懐古展の二、三の作品を紹介してみましょう。
バレーボールのような丸刈りの小僧さんがマンガ本を読むくつろいだ姿に伸びやかさを感じます。
畑仕事を終えて、巨大な牛の手綱を引く白いヒゲの老人は、幸せを運ぶ仙人のように思えます。リヤカーに腰をおろし一息つくおばあさんの姿に、思わず駆け寄って肩をたたいてあげたい衝動にかられるのです。
そして何が不足か、ふてくされている幼女の姿はユーモアにあふれ、私たちの幼いころの姿を重ねて、噴きだしてしまうのです。そして雄大な田園に早苗が整列、一糸乱れぬ風景に、気の引き締まる美しさを感じるのです。
このように沖氏の温かく、生命力あふれる写真展が開催されるのです。
(日本詩人クラブ会員)
2007年5月17日(木) 日本海新聞掲載記事原文
個展開催にあたって
本日はご多忙の中を、私の写真展へ足をお運びいただき、誠に有難うございます。衷心より厚く御礼を申し上げます。
私が写真に魅せられ、初めて念願のカメラを入手したのは、1951(昭和26)年のことでした。当時はカメラは高価で、月給の2ヶ月分を必要としました。購入した日は『嬉しくて夜も寝られなかった』と、当時の日記に記しています。以来、今日まで56年間、写真を「心の友」として、余暇を大事に、趣味として撮り続けて参りました。
「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、いつの間にか歳を重ね、今年で傘寿を迎えてしまいましたが、これをまた人生の一つの節目として、今後も撮影を続けていきたいものと存じております。
この度の写真展は、私にとりましては通算11回目の個展ですが、前回の「魅せられてインド」(喜寿記念)から3年ぶりとなり、傘寿記念として開催するものでございます。
写真展は「懐古」と題していますが、1994(平成6)年に自費出版したモノクロ写真集「出会いとふれあいの中で」の原画写真130点の中から50点を選んで展示しています。全紙額装作品(5点)は、今回の個展のために最近プリントしたものですが、他は写真集発行時の原画から1994(平成6)年の間に撮影したスナップ作品を主体としています。
毎日のように繰り返される人命軽視の事件や、殺伐とした現在の世相に思いを致すとき、展示作品を通じて、当時への郷愁、懐かしさを思い起こしていただければと思っています。
私の作品は、強烈な世界ではなく、静かな世界の中に生活があり、夢があり、詩を感じさせ、ロマン溢れているものが多いとも言われていますが、いかがでしょうか。
私に残された人生は、如何ばかりなのか知る由もありませんが、私の敬愛してやまない本県写真界の重鎮であった、今は亡き田賀久治さんが常に私に語っておられた言葉を思い出します。
「作品の発表は死んでからでもできるが、撮影は生きているうちしか出来ないよ‥‥。」と。この言葉を胸に、命のある限り、撮影に精進したいものと思っています。
平成19年5月吉日
沖 正