過去の展覧会

河上潤一郎 遺作展
2011.5/20(Fri)~5/24(Tue)


 

河上潤一郎 遺作展2011.5/20(Fri)~5/24(Tue)この度鳥取画材さんのご協力のもと昨年平成22年1月27日に死去いたしました夫、河上潤一郎の遺作展を開催する運びとなりました。生涯に制作した113点の作品の内、100点を展示、併せて画集を発行いたしました。

木版画に全力を注いだ在りし日の姿を偲び、ご高覧いただけますならば幸いに存じます。

お忙しいとは思いますがぜひ足をお運びくださいますようご案内申し上げます。

(河上麗子)

 

 

 

 

河上潤一郎プロフィール
1941 鳥取市杉崎に生まれる
1984 怪我で脊椎損傷、車椅子生活となる
1990 木版画の通信教育を受講
1995 鳥取県美術展覧会・鳥取市民美術展出品以後同展に出品
2000 二人展(わらべ館)
2003 第1回個展(ギャラリーあんどう)
2008 第2回個展(ギャラリーあんどう)
2009 鳥取市民美術展審査員となる
2010 1月27日逝去 享年69歳

 

1Fギャラリーあんどう・2FGallery ANDOH due 同時開催

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河上潤一郎 遺作展 1

 

 

「私の作品」

 私は、20年前になりますが、瓦葺作業中に大屋根から転落して脊髄を損傷、その時、足に感覚がなかったことから、すぐに下半身不随になることを覚悟しました。長く入院生活が続きましたが、前向きに生きることを決意し、数年後、新聞広告で知った多色刷版画に興味を持ち、通信教育を受けながら勉強を開始し、5年後にはなんと初めて応募した市展に入選しました。その後、県展にも入選し3年経ってもだめならやめるつもりでしたが、今では趣味の範囲を通り越しています。
  作品作りで最も意を配するのは元絵を考える時です。これで作品の味がほとんど決まるため、取材にも時間をかけています。一作品に要する版木は最低でも十数枚にも及びます。しかも、それぞれ僅かなずれも許されない厳しい製作条件下の版画彫りのため、苦労が多い分出来上がっていく作品には心が躍るものを感じます。
  作品には田舎の素朴な風景を題材として多用しています。このところ商品としての引き合いもボツボツ出てきました。悩みは地元に材料を販売している店がないため取り寄せなければならないことです。
  私は、好きな言葉は「健康第一」で、出来る限り体を動かすことを心掛けています。このため障害を持つ身になってから仲間に誘われてグランドゴルフを始めました。ショットのフォームを車椅子用に改善し、今では一人で興ずることもあり、健常者との垣根を取り払って一緒になって楽しんでします。
  現在では、二人の娘も嫁ぎ妻と二人暮らしです。妻には心の中で今でも感謝しています。私は、とにかく、面倒なことは考えない主義で「ケ・セラ・セラ(なるようになれ)」が生活身上です。過去は絶対変わりませんから、変えることが出来る未来を信じて、今日も趣味を生かしながらプラス発想で前向きに人生を歩んでゆきたいと思っています。
河上潤一郎 
(2005年1月 年金のまど掲載)

 

ごあいさつ

 昨年、平成22年1月に死去致しました夫、河上潤一郎の遺作展を計画して早くも一年余りが経過しました。
  最初から最後まで全責任を背負って、これ程までに‥と思うほど細やかな心配り、そして高い技術とセンスを随所に散りばめての思いのあふれたこの作品展の開催を、本日迎えることが出来ましたのは鳥取画材さんの夫に対する深い思い入れのお陰様と家族一同感謝の気持ちで一杯です。
  振り返って、ケガをしてからの27年間の内約18年間、多色刷の木版画に巡り合えたお陰で試行錯誤の繰り返しながら、少しずつ自身の世界を切り拓く事が出来たと思います。脊損という重傷を負っての作品創りは、得体の知れない突然の発熱、原因不明の足の痛みと悪寒に悩まされる事も度々で、1ヶ月の内体調がよいと思う日は僅か2~3日で、この症状の不愉快さは言葉ではいい表す事の出来ない苦しいものだったと思います。医学を以てしても、原因も治療法もわからぬ症状に唯耐え続ける夫をそっと見守るだけで、側に居りながら救う事の出来ない無力な自分を責め続けるだけの私でした。体調不良と闘いながら、又、入退院も何度となく繰り返し、手がけた作品もなかなか完成できないもどかしさもあったと思いますが、細かい表現を身上とする夫はどんな作品も手を抜く事なく、何度も何度も手を入れ直して1ヶ月以上かかる作品も多々ありました。体調の悪さを振り払うように、人を寄せつけぬ程の厳しい姿で作品と向き合う日々でした。心の支えに‥‥と取り組んできた作品を展示する度に「こんな絵をわざわざ見に来て下さり、何だか申し訳ない気持ちがする」と常々口していました。
  変わらぬ暖かい気持ちで見守り続けて下さいました皆様に、18年間の総てを見ていただきたく今回の機会をいただきました事に深く感謝いたします。
  今回展覧しましたどの作品も故人の想いを描き、彫り、色をほどこして刷り上げた作品ばかりです。満面の笑みを浮かべ、少し照れ臭そうにして皆々様をお迎えしているはずの故人と共に、どれか一点でもよき思い出として心に残ります事を念じて挨拶に代えさせていただきます。
  ありがとうございました。

河上麗子 

 

父は不慮の事故に遭い、両足の自由を失いました。失ったものはあまりにも大きすぎましたが、それと引き替えのように「版画」の世界を知り、沢山の方々と出会い、何より生きがいを得ることができました。
  父の作品は国内の展覧会はもとより、遠く海外まで歩けなくなった父の代わりのように飛び出して行きました。
  父はある日突然、「歩く」ことができなくなりました。それは深い悲しみでした。
  今年の3月、日本では未曾有の震災が起きました。今なお、希望の光が見い出せず、暗い闇の中をさまよい、行く先を悲観している人も大勢いると思います。父も同じような気持ちだったはずです。父は家族をはじめ、病院関係の方々、多くの知人・友人に支えられ、何より自分の強い気持ちで困難を乗り越えてきました。父の作品を見て私達が「お父さん、すごい!」とほめると必ず「まだ、まだ」と、納得していませんでした。常に自分の描く完成形を目指して来る日も来る日も彫り続けていました。
  父は元来寡黙で、決して多くを語りませんでしたが、父の姿に私達は努力し続けること、締めないこと、そして可能性を信じること、本当に沢山のことを教えられました。
  今回の遺作展は父の集大成です。この会場で、ご覧になられた方々に何かを感じ取っていただけたら幸いです。
  「今を精一杯生きる」
  父の思いが、ひとりでも多くの方々に伝わりますように。

 

長女:橋本かおり 
次女:森下記代子 
姪 :湯口正子