過去の展覧会

フナイタケヒコ展
~空中庭園/断片2016~
2016/10/25(火)~10/31(月)

 

 

フナイタケヒコ展に寄せて
フナイタケヒコの画業については、多くの画家や美術評論家が論じてきたし、文芸の分野からも木村禮三郎、井上嘉明といった美術に造詣の深い具眼の先輩が言及してきた。ぼくも木村、井上の後塵を拝して、フナイワールドの美解きに参画したいと思うこともあったが、所詮それは身の程知らずの夢想に過ぎなくて、あえなく消えた。
もしフナイ作品が具象絵画であったなら、そのタブローを文学的文脈の中に置換して、得手とする粉飾作文に仕立て上げることは可能だが(実際幾度かそうしたことがあった)、やんぬるかなフナイのそれは一貫して抽象だった。それも抽象と一言でくくれない多面多様の展開を繰り返していて、一体何が飛び出すか分からない。この度の作品の「描画材」にもカラーアルミワイヤーが出現して、小心なぼくを惑乱させ脅かした。
要するにフナイの作品を解釈、説明する知のメスを有しないぼくは、ただ久しい歳月に亘る交流の内に明滅するわがフナイ像を綴っていくしかないように思う。
フナイと出会ったのは半世紀前、鳥取大学が旧兵舎内にあった岩倉校舎時代だった。それから今日までの五十年間、彼はどれほどの数のグループ展に参画し、また自ら個展を企画してきたか、その詳細は掴み得ないが、ぼくは機会ある毎にその前に立ち続けた一人ではあった。
1969年から八年間に亘って展開されたグループ展「スペース・プラン」は、当時のぼくの生活拠点が西部にあったことから大半は見過ごしたが、とりわけ1970年の第四回展を鑑賞できなかったのはかえすがえすも口惜しい。会場は湖山池に浮かぶ青島で、同人は谷口俊、山田健朗、フナイの三名。なんでも島に廃鶏百羽を放し飼いし、島内の雑木林に蜘蛛の巣状にビニールテープを張り巡らしたという。一方フナイはといえば、草むらの中に机を持ち込んで、ひたすら焼いた鯛を丸かじりするなどの偏執的行為に没頭したと聞く。もしぼくがそれに対面していたら、即座に衣服を脱ぎ捨てて、ビニールの巣を背に醜い磔刑の裸形を晒していただろうし、あるいは百一羽目の廃鶏に変じて、せわしなく青島の地虫を啄んでいただろうと思う。スペース・プランに限らず、それがぼくの解釈であり鑑賞なのだと言うしかない。
ところで彼はいつ、どんな事由のもとに、船井武彦からフナイタケヒコへ変じたのだろうか? 画家には「吹きさらしのシャッフル」と題する、影の伴走者だったと追懐する母堂の、没後間もなくから書き起こされた半自伝がある。しかしそこにもこの一件についての記述は見当たらない。ということはフナイにとって名前のカタカナ表記への転換は、至って自然に行われたということなのだろう。 
確かにフナイワールドには厚ぼったい表意文字よりも、意味の衣を脱したフナイタケヒコが似つかわしい。この度の「空中庭園/断片2016」でも、ワイヤーやスティックなどの「描画材」がかろやかに支持体を蹴って浮游し、解体し拡散し集合している。ワイヤー、スティックはいわば画家のニューロンであって、自分を超えたものの命ずるままに、樹状突起を伸ばしシナプスを形成するのだ。
はたして本展「空中庭園」を構成する四つのセクションが相乗し合って、情緒不安定のぼくをどう眩惑するか―多少の懸念がないでもないが、よもや古稀を過ぎて久しい自分に、青島の狼藉の場が出来することはまずないだろうと安心している。

 

(詩誌「菱」同人・手皮小四郎)

 

   

section-1 螺旋の妖精          section-2 風のために

 

 

section-3 かけら山水        section-4 曖昧なフィクション

 

 

フナイタケヒコ

1942 鳥取市に生まれる

 

主な個展
1978 CRYSTALLIZATION45°(画廊鳥取美術 鳥取市)
1979 冥いなあ(画廊鳥取美術 鳥取市)
1986 Gold Field(画廊鳥取美術 鳥取市)
1990 遊体(画廊鳥取美術 鳥取市)
1992 壁の光景(アートスペースさかお 鳥取市)
1995 遺景(シロタ画廊 東京銀座)
1997 遺景-Setup2-(シロタ画廊 東京銀座)
1998 明滅する記憶(シロタ画廊 東京銀座)
1999 UBENO(シロタ画廊 東京銀座)
2001 ドローイング・スペース2001(シロタ画廊 東京銀座)
2004 夢読み空間(シロタ画廊 銀座)
1111 夢読み空間プラス(ギャラリーあんどう 鳥取市)
2006 霞堤物語-PartⅠ(ギャラリー渓 東京新宿)
1111 霞堤物語-PartⅡ(ギャラリーあんどう 鳥取市)
2008 イメージの条件(ギャラリーあんどう 鳥取市)
2009 Drifting Sight-1(Shonandai MY Gallery 東京六本木)
2010 Drifting Sight-2(Shonandai MY Gallery 東京六本木)
2013 フナイタケヒコ 絵画の光景(鳥取県立博物館企画展)
2015 Multiple Formation(ギャラリーあんどう 鳥取市)
2016 空中庭園/断片2016(ギャラリーあんどう 鳥取市)

 

主なグループ展
1966、67、89 自由美術展(東京都美術館)
1969 スペースプラン展(1977年までに13回企画出品 鳥取市)
1970 鳥取現代美術屋外フェスティバル(久松公園 鳥取市)
1984、85 アールリゾーム展(若桜橋コミュニティセンター 鳥取市)
1987 現代美術鳥取8人の表現展(鳥取県立博物館)
1988 現代美術鳥取7人の表現展(鳥取県立博物館)
1989 コンテンポラリーアート協会展(目黒区立美術館)
1111 オランダ・トットリ現代美術交流展(鳥取県立博物館) 
1998 船井美周(遺作)・武彦父子展(鳥取県立博物館)
1999 シルクロ展(三鷹市美術ギャラリー)
2004 増殖するイメージ、拡大する結像―平面四人展
1111 (ギャラリー渓 東京銀座)
2005、06 ミストラル展(倉吉博物館)
2008 現代美術5WORKS展(ギャラリーあんどう 鳥取市)
1111 私の愛するアーティストたち展(ギャラリー風 東京銀座)
2009 顔顔顔展(Shonandai MY Gallery 東京六本木)
2016 Ⅹ会とパープルーム(もりたか屋 いわき市)

 

川上奨励賞(1999) 鳥取市文化賞(2004) 
パブリックコレクション 鳥取県立博物館

 

 フナイタケヒコって何?

  フナイタケヒコ展
~空中庭断片2016~に寄せて

 ぼくにとってフナイタケヒコ(船井武彦)とは何であり、そしてこれからも何であり続けるのか―まことに個人的関心事から書き起こして恐縮だが、この自問を抜きにフナイを語ることはできそうにない。
  ギリシャ神話に登場するスフィンクスは旅人に謎を投げかけて悩ませたというが、フナイは昔から脆弱小心のぼくを惑乱させ懊悩させる存在だった。もちろんフナイが発信するのは言葉でなく造形美術である。
  フナイに出合ったのは鳥大がまだ木造の連隊兵舎を使っていた頃で、彼は美術部員、ぼくは軟弱な文芸の徒だった。
  あれから既に半世紀を過ぎたが、フナイが一貫して取り組んだのは抽象美術である。しかし一口に抽象と言っても、その繰り出す作品世界は多面多様の展開を見せて、一つ所に留まることがなかった。時には戸外に跳び出し砂丘や青島の時空をキャンバスに見立てて、土方巽の暗黒舞踏ではないが、奇怪な行為を繰り広げ、これを立体作品として提示することもあった。いまその詳細を引く紙幅はないが、造形の未知の領域に賭けるフナイの姿勢は、古稀過ぎて半ばに至る今日も衰えを見せないでいる。
  今回のフナイ展「空中庭園/断片2016」はまたしても意表を突いて、アルミワイヤーまで出現し、ぼくを眩惑させる。しかしぼくはもう挑発に乗らないのだ。解き明かすこと、説明することを止めたのだ。
  スフィンクス・フナイにはウインクひとつを投げ返して、あとはワイヤーに絡め取られたままスティックの筏に乗って、フナイの空中庭園を游泳、逍遥するばかりである。
 (手皮小四郎・詩誌「菱」同人)

 2016年10月18日(火)日本海新聞掲載 寄稿文

 

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[2016/10/28]フナイタケヒコ展 ~空中庭園/断片2016~