2F:過去の展覧会

安養寺智子展「ひと夏過したパリの街」
2006.1/5(Thu)~1/28(Sat)

 

パリの街で孤独と対峙

ニシオトミジ

 

 2004年の夏、安養寺はパリで絵の勉強をしていた。日本を離れ、すべてが異なる空間の中で、自分を見つめ、自分の絵について考えてみようという旅だったのだろうか。

 好むと好まざるとにかかわらず、孤独であるということを強いられ、自身の中で、もう一人の自分と対話する日々は、二ヶ月におよんだ。この孤独の中から何が生まれ、どんな収穫があったかは定かではないが、何をどう変えなければいけないのか、それとも何ら変わる必要はなかったのか、そのあたりのことが見えてきたのではなかろうか。何はともあれパリで短期間でも生活して得た実体験は、そこで生活した者しか得ることのできない貴重な体験である。

 幼いころから絵が好きで、一人で静かに絵を描いている子どもであったという。今でも、絵を見ることも、描くことも、好きだという。好きだから今日まで描き続けてこられたのであろう。描き続ける中で安養寺が身につけてきた表現方法は、独自なものであった。表現ではあるが、リアルに描くという表現ではない。大学でデザインを専攻した影響なのかグラディーションによるアンリー・ルソーを思わせる表現なのである。

 数年前になろうか。この表現方法で、おしゃれで、さわやかな素朴さのあるいい作品を発表したことがあった。だが、安養寺自身は、この独自な表現のおもしろさを意識していない感じで、自分の好きにまかせているという様子であった。そのためか、それ以後も表現にいろいろの変化がみられた。在パリの二ヶ月で、このあたりの見極めができたのであろうか。

 十数点の油彩作品にはタイトルに「ひと夏を過ごしたパリの街」とあるとおり、パリの街並みがでてくるが、観光的に描かれたものではない。街の中でひざをかかえて、孤独と対峙(たいじ)する安養寺自身が描かれている。透明度の高い青い空もとにあるパリの街を描いたものでなく、異質な存在としてパリの街の中に在った安養寺が哀(かな)しさを漂わせてグラフィックに表現されている。

 二ヶ月の間、街を見つめて描いた数点の水彩画もある。風景を描く楽しさ、水彩の持つおもしろさが好きになったという作品である。街角でパリの人たちに囲まれて描いている姿を思いつつ見るのも一興である。

 確かに、ひと夏を過ごしたパリの街ではあったが、ひと夏を過ごしたパリの街での私(安養寺)といった方が妥当と思われる作品展である。

 安養寺独自のグラフィックな表現が、どう定着し、どう深まっていくのであろうかという明日を期待しながら楽しく見ることのできる作品展である。ご高覧。

(自由美術協会会員)

 

2006.1/8 日本海新聞掲載記事

 

出展者 安養寺智子:鳥取市在住